活動記録『二階建ての家』を終えて

ジャグリング・ユニット・フラトレス結成から3年が経ちました。
相も変わらず、1年に1作品ほどのゆったりとしたペースで活動しています。
そうそう、先日その3作品目『二階建ての家』の本番を無事終えました。
公演後の作業に追われる毎日でまだまだ余韻が抜けていません。

折角なので、公演について

“ルーブ・ゴールドバーグ・マシン” をご存知でしょうか?
俗に「ピタゴラ装置」などと呼ばれる、最初に動くきっかけを与え、そこから連鎖的な運動を行い、ゴール地点の目的まで辿り着く装置のことです。
今回の『二階建ての家』は、家族の姿、家の設計者、そして “ルーブ・ゴールドバーグ・マシン” をモチーフにしていました。
始まりの力は順調にその力を伝えていくこともあれば、途中で止まってしまうことも、期待と違う動きをしてしまうこともある。

物事はそう上手くは動かない。

今回の公演を迎えるまでに、どれだけ止まったり、期待と違う事態が起こったりしたか。
でも、物事がそう上手くは動かないのは当たり前の話で、僕がそのあらゆる問題に対応できる精巧な造りをしていないことが問題なのだろうと落ち込む日々でした。

作品という枠組みさえあれば、存在する他人の行動や意識を作り手の思いの範疇で支配することが出来る。
滞ることもなく、道を外れることもなく。そんな勘違いをしていたのでしょう。

こう言ってはなんですが、僕は伝える事が下手で、自分の内側で周回する思考や気持ちはあれど、内側で無理矢理に完結させることで日々を過ごしている。
外側に出ていく言葉ももっと素直であれば良いのに。
それだから、伝えられた力を真っ直ぐに受け取ることも苦手で……。

過去に、ふとしたきっかけでジャグリングを止めた時期がありました。
そのふとしたきっかけが家族の言葉だったから、家族の誰とも口もきかず、視線も合わさない時期がありました。
止まってしまったのは家族の所為。自分から動いてやるものかと。
今回の『二階建ての家』の主人公と同じように。
でも、そういう生活は疲れが出てくるもので
何を思ってか、暫くぶりに顔を見せて話した時、家族は
期待していたよりも、喜んでもくれず、怒ってもくれず
まるで何もなかったかのような言葉だけを僕にくれた。

何にも言えなかった。
嬉しくも悲しくもなく、「ごめんなさい」という気持ちで一杯になった。
何も言わずとも、信じ続けてくれていた。理由なんてきっと無い。
“家族” という枠組みの曖昧さと、でもそこに確かにある感覚を
受け取れたような気がしたのです。

人それぞれに想いはある。物事はそう思い通りには動かない。
不安定さを抱えながら、けれども確かな安定を軸に集団は形成されている。
僕が上手に受け取れていないだけで、この公演に携わった人達は、沢山の力を加えてくれた。
許してもらえるなら、これからもその半端にしか受取れていない力で、また舞台を作っていきたい。

「伝える」なんていうのは下手だから、そんな大層な話ではなく、皆さんにはただ見守ってほしいのです。

いつか、進まない僕の背中を押してくれた沢山の人がそうしてくれたように
沢山の過程を踏んで、もっと僕が精巧な造りになったら

同じ舞台とジャグリングの道を進む人へ

手を差し伸べたい、行く末を見守っていきたい。
進んでいくその人が止まらぬよう道を繋ぐ力を、止まってしまった時に動き出す力を。

辿り着くかも分からない先の理想に向かって行けるよう

これからも僕達を、「フラトレス(=同士)」を見守ってほしい。

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