3月5日 そして 3月6日
ジャグリング・ユニット・フラトレス第2回公演『白い花』無事本番を終えました。
たくさんのご協力あってこの舞台を描き上げることが出来ました。
ご来場頂いた皆様、キャスト・スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
幸せと感謝の気持ちでいっぱいです。
「今日触れたそれは、流れ落ちる涙よりも冷たくて
折り重なった白い花のひんやりとした肌触り、それによく似ていた」
今回の『白い花』は叔父の葬儀があった日に書いたこの一文から始まりました。
不幸せばかりが気になる僕は、自分は豊かな人生など送っていないと思っていました。
あの日初めて直面した”死”の感覚。
以前より白に近い薄い肌をしたその人を前に、胸が苦しくなって、自然と涙が頬を伝いました。
自分は思ったよりも平凡に、ちゃんと感情を持って幸せに生きていたのかもしれません。
そう、今回の台本にはモデルがいました。
もう一人、それと同じ年に出会った白い花の名を冠したあなた。
何が出来るわけでもないくせに、幸せそうな日々を生きるあなた。
あなたの歩いた道には僅かばかりの風が吹いて、僕の心が静かに揺られていたことを、きっとあなたは知らないでしょう。
自分で決めたことだから、この想いを伝えることはありませんが、僕は少しだけ幸せを貰って今ここにいます。
僕は今ジャグリングの世界にいます。
そこにいて思うのは各々の個の強さ。
特殊性と多様性に富み、言葉なくとも観客を惹き付ける力の強さ。
紛れもない長所だと思っています。
けれども花が綺麗である為には、すべての花弁は同じ色でないといけません。
不揃いな花弁を、私たちは決して綺麗だと認識しないでしょう。
ひとつの花を、主張の強い違う色たちで構成してはいけません。
花畑なら、好き好きに咲いた色に溢れていても、誰しもが綺麗だと思ってくれるでしょう。
ひとつひとつは小さく映ってしまうけど、なるべく距離をとって遠くから見れば、それは一枚の絵になっているはず。
今回のフラトレスはきっとそういう考えの作品だったのだと思います。
高度な技能としてのジャグリングを目的として鑑賞された方には、やや不満の残るものだったかもしれません。
少なくとも僕は、ジャグラーとは「他の人よりも扱える道具の数と種類と動かし方のパターンが多い普通の舞台人」であると思っています。
それが僕の持つ色彩感覚だから、目に映る色を信じて作品を作るのです。
日本では、ジャグリングの舞台はやっと芽を出し始めたばかりです。
きっとこれから彩り豊かな花たちが、ずっとずっと咲き続けるでしょう。
だから、次の季節、次の年に咲くまた別の花を好きになってください。
ジャグリングを舞台に添えることが見慣れた光景になってくれるよう、僕らは言葉と一緒に綿毛を飛ばすのです。
その種が、いつか別の舞台に根差して花を咲かすことを夢見ながら。
その花たちを愛でてくれる人が、触れようと伸ばす手が少しだけ多くなるように。
僕の心を動かしてくれた、遠いあなたたちに届くように。
僕らは何かを動かすことで誰かの心を動かしていきます。
あの日、あなたの頬がひんやりとした肌触りであったのは、今僕に体温がある証だから。
